04« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»06

双極性障害になって考えた

  // 

数年前から双極性障害Ⅱ型を発病。社会復帰したものの適応が上手くいかず、その中で日々思う事を書いてます。

プラトニックな恋8 

桜が咲き始める季節になりましたが、それとは逆にアイコの調子は良くならず、自宅療養が出来ない状況になってしまいました。
かなり痛かったようですが、たまにしか弱みを見せず、メールの交換をしていましたが、メールの内容や数が減ってきたのはこの頃からです。
一通に同じ内容が書いてあるのではなく、1つのメールにその日の時間毎に内容や感想が書かれるようになっていました。
本人は意識がハッキリしない時間がで始めたので、正直に思った事を、その時間に書いて送る、その方がその時の気持ちを正直に書けるから、と言ってました。
たまに内容も前後の脈絡が無い文章の時もありました。そこまで症状が悪化してしまったので、病院で方針を抗がん治療とホスピスに変えました。
その時に私は、もうダメなんだ、でも最後まで夢を見て生きて欲しい、思い出を作って生きて欲しい、と感じながらメールを送る事にしました。
病院に入った彼女のメールには、とても辛い内容が書かれていて、すぐに家に帰りたい、でもそうすると死期が早くなってしまう。少しでも長い間メールのやり取りをしたい。だから1日でも長く生きられる努力をする、と言うメールが来た時には、さすがに返信をどう書いていいか分かりませんでしたが、慰める事はさながら、これからはメールの内容を変えよう、と思った時はその頃からでした。
私が考えたのは、普通のメールを書くのではなく、ひたすらに将来の2人で出来たらいいな、と思うメールを書き始めました。
アイコの行ったことが無い場所、私が連れて行きたいところ、やってみたい事などを書いていたのを良く覚えています。
私は心のどこかで夢と希望があれば、もしかしたら生命力が病気に勝てるかもしれない、と思ったのも事実かもしれません。
一旦は良くなるかもしれない、生きる事が出来るかもしれない、ほとんど希望がなくなった本人の覚悟はメールには一切書かれておらず、私が送るメールが唯一の希望になっていたようで、何があったか、どんな1日だったかをとても知りたがるようにもなってきました。
何度も書きましたが、私は双極性障害に加え脚の痛みも酷く、これといった将来像や希望もなかったので、できる事なら私の生きる分を、彼女にあげたいと心の底から思いました。
しかし、夢物語や映画とは違い、そんな事にはなるはずもありませんでした。
人生は不公平です。生きていなければ、生きていれば価値の高い人、心の優しい人の人生が短く、どうでもいいと思っている人が身体が健康なんて…
時期を同じくして、彼女の義理の弟さんとお母さんからも、たまにメールが来るようになりました。
関連記事

テーマ: メール・電話・会話

ジャンル: 恋愛

ネットでの恋  /  tb: --  /  cm: 0  /  △top

コメント

△top

コメントの投稿

Secret

△top