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双極性障害になって考えた

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数年前から双極性障害Ⅱ型を発病。社会復帰したものの適応が上手くいかず、その中で日々思う事を書いてます。

冬山単独登山 

いつもの如く、コインランドリーに来ると暇。
適当に書けるうちに書いておく。と言うより、ついさっき何を書いて良いか分からない、と吐き出したから、逆に気楽になって書けるのかも…

躁の時の話。
その時点では、睡眠障害から来る強烈な鬱、と診断されていた。元々のパワーは凄くあるが鬱になっている、と医者が言っていた。言われた側は信じたい気持ちでいっぱい。

真剣に鬱を治そうと思い、いろいろ勉強してたどり着いたのが、歩く事。運動に関して強歩やランニングもあったけど続く訳が無い。自分の性格からしてすぐにやらなくなるだろう。一生やる事は何だ?と考え答えは歩く事。

その頃はデイケアの存在を知らなかったので、何とか布団から出て歩く。帰ってくるとダウン。そしてhulu。

歩く時は1日2時間くらいは歩いた。
ある日歩いていて閃いた!どうせ歩くなら山に登ろう!
昔はよく登山をしていたし、冬山に憧れていた。奥穂高にも登った事があった。心の奥から奥穂高にもう一度登りたい、っていう気持ちが込み上げてきた。

この時はそれが躁転とは気が付かなかった。冬山単独登山。今考えれば無謀な話。しかしその時はそれがしたかった。

装備を一式買い揃え、訓練と言いつつ家の近くの山に行って週一回は20キロ歩いた。それも荷物を15キロ近く背負い。

それでも幾つか死な無い程度の冬山をトライした。
その時にとある山で、白銀の木々に覆われた中を一人でひたすらに歩いていて、凄い感動が込み上げてきた。
「自然と一体になっている。神様は本当にいる」
心の奥からそう思った。
とても嬉しく感じた感動らしい感動は記憶にある限りそれが最後。

多分そこがピーク。次はやや厳しい山に挑戦。さすがに死ぬといけ無いと考え、ツアーで行く事にした。厳冬期の有名な冬山。

行ったはいいし、そこそこ楽しかったけど、登っている最中に、これは死ぬな…
冬山単独登山は無謀だなぁ。

今思えば、ここからが鬱の始まり…
その数ヶ月後には、歩く事も止めてしまっていた。

もうそれから数年経つけど、やっぱり生きて行くのには感動は大切だと、今でも思う。
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