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双極性障害になって考えた

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数年前から双極性障害Ⅱ型を発病。社会復帰したものの適応が上手くいかず、その中で日々思う事を書いてます。

人を育てるについて 

主に会社の話になるが、人を育てる事を考えてはいるけれど、それを実行に移している会社はやはり大企業だけだと思う。

中小企業は社長もやっているつもりになっているし、社員も育っているつもりでいる。

社員を育てる、と言う意味はどういう事か改めて考えてみた。

おそらく私も社員を育てている、つもりだったと今更ながらおもう。

会社は成長しないと、社長も社員を立場が上がっていかない。生産量が同じで生産性が同じであれば当然利益がかわらない。利益が変わらなければ、給与や待遇など上がる訳ではない。

そこで人を育てて新しい分野に進出しようとする。
しかし実際はなかなか新しい分野での成功は難しく、育てた社員、つまり投資してお金をかけた社員が辞めていく事になる。

結局のところ事業が着実に拡大し、社員が定着しなければ、社員を育てた事にはならない。

確かに育てている部分もある。それは社会的に育てているかも知れない。学校出たての人が挨拶を覚えたり人前で話を出来るようになったり。

しかし、会社で社員を育てるのは意味がやや異なる。あくまでも利益を出すために育てるのだ。
育てる為には、成長戦略がなければならなければいけない。

ある程度の会社になったら、しっかり成長戦略を立てて、その戦略が合ってるか検証し、その事業に合った人材を当てて、足りなくなった人を採用して育てる、と言う事を真に人を育てる行為だとつくづく思う。

自分のやっている行為と第三者の目で見る行為は同じ内容でも全く違う…
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本当の勇気を考えてる 

かつての自分を振り返ると、本当に恐れ知らずだったと思う。

バックパッカーとして海外に初めて行ったのはドイツだった。たまたま大学でドイツ語をやっていた、という単純な理由だった。

ガイドブックも持たず、着いたらパニック。それでも2ヶ月プラプラしてた。

登山も初めて登ったのは、奥穂高岳。それまでバイキング程度しかやった事が無かった人間が、いきなり冬山に登った。

バイクでは、制限速度の3倍を出して楽しんでいた。

もっと書けない事をいっぱいしてきた。

今思うと、怖いという事を知らずに生きてきたきがする。これを若さと言えば、若さなのだが。

私は怖さを知らずに挑戦してる人は勇気があるとは思えない。私の中ではそれを「蛮勇」と言っている。決して本当の勇気では無いと考えている。

本当の「勇気」は、怖さを充分に知っていて、その上で立ち向かっていく事だと考えている。

私は本当の勇気を何度か出した。それは会社を経営している時だ。そして一番勇気を振り絞ったのは、倒産させる時だ。

本当に怖かった。逃げたくて逃げたくて仕方なかった。どうなるかも知っていた。周りの会社の仲間が次々と倒産して行ったから、どうなるかも知っていた。

しかし逃げずに踏みとどまった。
結果、今の状態になってしまったが。
見てるのが辛いから逃げてくれと言う人もいた。

だけど私は逃げる訳にはいかなかった。それはかつて父親が逃げて、その責任を一切かぶり非常に大変な思いをしたからだ。

そんな嫌な事を、自分が逃げて人に押し付けられない。そんな気持ちでいっぱいだった。

今振り返るともしかしたら勇気では無かったのかも知れない。逃げる勇気が無かったのかも知れない。

しかし勝てない事を知ってて最後まで挑んだのは、今でも悔いは残っていない…
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負け知らず、人知らず 

今振り返ると、昔の自分は「負け知らず、怖いもの知らず」だった。

当時でも、自分には取り立て才能があるとは思ってはいなかった。

20代は会社の経営を知らずに、潰す訳にはいかないと思い、必死に働いた。働き過ぎて本当に死んでしまう、と思った。

その後に、自分一人の力では限界があると分かって、人材の育成に力を入れるようになった。

本を読み、啓発セミナーに参加し。
誰もが努力すれば、人はみんな出来る、と思っていたし、誰しもが給与が上がれば会社を大きくするモチベーションが上がる、と信じきっていた。

しかし、両方とも性善主義だった。一つ目はオーナー社長と普通の社員にはあからさまな違いがある。

会社に対する責任感だ。
社長は会社を潰すと、路頭に迷うが社員は転職すれば良い。

もう一つは給与に関する考え方の違いだ。社員はあくまでも、自分はやっている、と思っているので今もらっている給与は当然だ、と思ってるし出来れば楽をしたい、と思ってる。

まぁ楽をしたいのは社長であった私も同じだけど、それはできない。

いずれにしても、人の事を知らなかった。
今は病気になって、出来ない理由、責任を取りたくない理由が良く分かる様になった。

まずは出来ない。うつ状態になると動く気さえない。単にサボっている様に見えるかもしれないが、ヤル気どころじゃない。

責任については、今でもハッキリ言って嫌だどころの騒ぎじゃない。

出来る出来ないの問題ではない。
昔の自分は良くやってたと思う。やり過ぎかも知れない。
今の自分はまだまだいろんな事から逃げてるし、病気が怖い。

どっかで落とし所を見つけないと、いずれにしても極端な生き方だ。だから双極性障害なのかもしれないけど。
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死ににいく人 

ここ最近は父親癌を知り、会う回数が増え過去に振り返る機会が増えた。

父親は私が20代後半の時に逃げた、家族を捨てて。
責任を全部私に押し付けて。

借金を返すために、寝ずに働いた。
貯金も使い果たした。

そんな最中でも父親はお金を要求してきた。
苦しくて、悲しくて、悔しくて本当に恨んだ。
死んで欲しい、と心の底から憎んだ。

幼少期は厳しい父親で、私は家に帰るのが嫌で嫌でしょうがなかった。
そんな父親は、もっともらしく道徳を説いていた。

そんな事も重なり、逃げた父親が許せなかった。

その後、宮崎県で父親がクモ膜下で倒れ、いつ死ぬか分からない状況の連絡が入り、私の生活も安定し始めていたので、病院まで面倒を見に行った。

皮肉な事に宮崎は家族旅行で思い出の場所。
行くたびに、子供の頃家族旅行で行った楽しさを思い出した。

全く意識が戻らないままの父親、お見舞いに行っても、私が誰か分からない父親。
その頃から恨む気持ちが消えてきた。
逃げた人の寂しい最後が見えた気がした。

そこから私自身の生活も非常に良くなり、父親も九死に一生を得た。そんな状況がしばらく続いたが逃げた人は、今までの人に会えない、顔向が出来ないのだろう。

そして私の生活の崩壊が訪れた。苦しい毎日が数年続いた。死にたい毎日。
しかし、逃げた父親を見ているので、心の底から逃げる訳にはいかない、と思い毎日闘った。

決局は敗北して、挙げ句の果てに精神疾患。立ち直れないほど叩きのめされた、とはまさにこの事。
恨むまでは行かないが、もし父親が逃げなかったらこんな事にならなかったんでは、と思う日も正直な気持ちがあり、あまり会っても良い気分では無い。

そんな父親がいよいよ末期癌で死んでいく。
おそらく看取る人は私たち兄弟だけ。世間一般で見たら、かなり寂しい葬式になると思う。

だけど今回の旅行で思った。父親は不幸では無いな…少なくとも私達兄弟はほとんど無かったとは言え、最後に旅行に連れて行った。全くの独りでの死では無い。

そんな死ににいく父親を見ながら、果たして自分がいざ死ぬ時に、独りなのかまたは一体何人の人が自分の死ににいく時間を共に過ごしてくれるのだろうか…

無感情のまま論理的な思考だけか、自分に問いかける。死ににいく人…


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やたらビクつく 

昔はそれほどビクつく人では無かった。
多少の失敗や問題があっても、後で挽回出来る、なんとかなる、と言う気持ちで物事に対処出来た。

今は、何をするにもビクビクしている。
失敗したらどうしよう。誰かに迷惑がかかるのじゃないか?
そうなったら全部自分の責任だ。
自分で自分を追い込む癖が付いてしまった。

病気を長く患っていると、全てに自信が持てなくなってくる。

昔の自分は自信が過剰だったかもしれない。
しかし今ほど、何をするにしても自分を追いやる事はしなかった。

恐らく会社を潰した時の失敗から十分に立ち直っていないせいもあると思う。

やはりもう一度ささやかな成功体験を積み上げて、病気でもこれだけ出来るじゃないか、まだまだやれば出来るじゃないか、をやっていくしかないのだろう。

完全に過去の自分には戻る事は出来ないだろう。
だけど過去の自分に少しでも戻ろうと思う気持ちは捨ててしまってはいけない。

今日も少ししっかり出来る事をやろう…
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